yu-さんから「喜緑さんの憂鬱」の続きSSをいただきました!どうもありがとうございます^^
以前いただいた「喜緑さんの憂鬱」はこちらです

■ 喜緑さんの憂鬱(続き)

 長門さんが朝倉さんを処分した翌日、私は学校を休んでいました。
体調を崩したわけではありませんし、明日私のクラスの誰に尋ねたとしても、学校来てたじゃんとでも
答えてくれるようにはなっているのですが。
 朝早くのうちに、朝倉さんの担任には電話をかけておきました。
彼女はカナダに移り住んだということにさせていただきました。万が一にも『涼宮ハルヒ』に追跡されないように、
というのもありますが、以前3人で旅行雑誌をめくっていたとき、
「カナダはだめね。ここにだけは住みたくないわ」
 朝倉さんはしきりにそんなことを、やけに冗談っぽく口に出していました。
よりによってこの私たちが、行くはずもない旅行に関する雑誌で盛り上がろうとするほどに暇だったのですから、
それは実際冗談以外の何物でもなかったのだろうと思います。
それでも、長門さんがいつもの厚物に戻っていっても、私が漫画に移っても、朝倉さんはずっとそのページを開いていました。
 長門さんはそんなことを覚えてはいないでしょうが、快く了承してくださいました。
書類などの操作は、いつも通り早くに出て行った彼女に任せています。
私と違って、長門さんは学校を休むわけにはいきませんし、彼に会っておいてもらう必要もありましたから。
 私は今、朝倉さんの部屋に居ます。今日中にこの部屋を空っぽにしておく必要があるので、荷物の整理をしているところです。
本当は朝に済ませて学校には行く予定だったのですが、ついこんなに時間がかかってしまいました。
そういえば昼食も摂っていませんが、今更食べるような時間でもありません。
 情報連結解除の申請は通っていましたので、荷物をまとめて分解してしまえば少なくとも学校には行けたのでしょうが、
感傷でしょうか。つい先ほど、本当にいらないものや大きなものばかりを十数点、ようやく分解したところです。
 残ったものは全て、長門さんの部屋に運んでおきました。
どうせ空いてるだろうからと、客間に置いておこうと思ったのですが、なぜか開きませんでした。
サーチもはじきますし、関連情報へのアクセス申請は不許可でした。気にするほどでもなかったので、
失礼ながら全て居間に積んでおきましたけれど。
 なので今、朝倉さんの部屋には何もありません。
室内に数ヶ所(特に寝室のベッドの付近に多数)残っていた切傷は修繕しておきました。
傷は新しいもので、遠くても一週間以内のものばかりでした。
最初部屋に入ったときには嫌というほど散らばっていた羽毛も、一本も残ってはいません。ベッドも全部分解してしまいました。
 あとはこの部屋に鍵をかけてしまえば、それらは生涯、長門さんの目に触れることはありません。
 そんなことを考えていると、このマンション内に涼宮ハルヒの反応が現れました。まっすぐこの部屋に向かってくるようです。
鍵をかけているのは確実でしたが、それでも私はもう一度確認して、電灯を消しました。
 涼宮ハルヒは彼と一緒だったので、ドアに近づくに連れてどことなく噛み合うような噛み合わないような会話が聞こえてきました。
私はチラッと、いつの間にか、なぜか、鍵が開いてしまっている可能性に思い当たりました。
彼女ならそれもあるように思えましたが、結局ノブをまわす音とドアを叩く音が聞こえただけでした。
十分に彼女たちが離れるのを待ってから、私は部屋を出て、鍵をかけました。
 彼女たちと入れ替わるようにして帰ってきた長門さんは、勝手に部屋に上がりこんでいた私に対して、やっぱり何も言いませんでした。
「涼宮さんが来ましたよ」
「知ってる。下で会った」
 そのようです。それに何より、彼女の来襲は予測済みでしたから。だからというわけでもないのでしょうが、つい口が滑りました。
「彼も、一緒に来ていましたね」
「……そう」
 長門さんは彼にも会っているはずです。
 荷物を置きに部屋に入っていった彼女は、しばらく出てきませんでした。
おかげで私は考える時間を得ることができました。
つまり、今の台詞はまるで朝倉さんの言うような、何か含むところのあるような言葉だったなということです。
 部屋から出てきた長門さんは、座り込んで荷物を物色し始めました。
私は自室に戻ることにし、その前に荷物の中から本を一冊抜き出しました。
「これだけ頂いてもいいですか?」
「……どうぞ」
「はい、ありがとうございます」
 玄関に出てドアに手をかけながら、私はどうしたいのだろう、何がしたかったのだろうと、ぼんやりと考えていました。
「……閉鎖空間」
 その嫌なタイミングだけを頭の片隅にとどめながら、長門さんの部屋を後にしました。
 
 私が一冊だけ持ってきた本は、絵本でした。朝倉さんが長門さんの本に手を出して、諦めて、そして漫画に移っていく過程で、
ほんの数冊だけ購入したものです。全体に青暗い、夜の話の絵本。
 続かなかったのは、単に彼女にとって絵本というものは肌に合う代物ではなかったという、その程度の理由のようでしたけれど。
「これは貴方にあげるわ。その方が合理的でしょう?」
 そんな話はよくしていましたが、何故でしょう? こうなってしまうまでは、受け取ろうという気にはならなかったのです。
わたしは何の気もなく、それを通学鞄に押し込みました。
 
 翌日は特に取り上げるような話題もなく、ただ過ぎていくようでした。
予兆は十分にありましたが、あまりにもありすぎて、逆に油断してしまったような気分だったのかもしれません。
 事態は深夜に始まり、私は初めて涼宮ハルヒの城、そして長門ユキの砦に立ち入ることになりました。
今は文芸部のパソコンを中継して、閉鎖空間へのリンクを形成している最中です。
「システム完成度67パーセント。防壁を突破する、サポートを」
「サポートに入ります。涼宮ハルヒの思考パターン572万6105通りまで解析終了」
 超能力者も未来人も、先ほど部室を出て行きました。
 超能力者は閉鎖空間への進入ポイントを探しに行ったのでしょう。
この部屋は様々な要素が絡み合い過ぎているので、確かに向いてはいません。
伝言を託した以上、古泉イツキには成功してもらう必要があります
 未来人のほうは、おそらく禁則とやらの絡む会話をするために出て行っただけでしょう。朝比奈みくるに期待はしていません。
「解析、全て終了しました。防壁突破」
「…………96……、98、99、100パーセント。システムスタート、スタンバイモード」
 とりあえずは一息つけました。長門さんはパソコンの前で待機。
あとは閉鎖空間で同じパソコンの電源が入れば、構築したプログラムが世界の壁を突破します。
 手持ち無沙汰になってしまった私は、習慣でつい持って来てしまっていた通学鞄に手をかけました。
いくらなんでも気が抜けすぎているというか、動転していたのだというべきか、鞄の中身がほとんど空だったことに呆れかえっていると、
「……リンク確立」
―――見えてる?
 長門さんが少したどたどしく、キーを叩く音が響きました。
2人掛りで構築したプログラムですが、会話以外に役に立つわけではありませんので、
「…………」
 私はそのまま鞄の中身を物色して―――青暗い感触が指先に当たりました。
朝倉さんの本を、どうやら入れっ放しにしていたようです。
 取り出した本の表題を、実は私は読めませんでした。朝倉さんが言うには、確かフランス語だったでしょうか?
 私は一度だけ、彼女にこの本を読んでもらったことがあるだけなのです。
おそらく、本を読んであげるというのも好きな方だったのでしょう。
そんな顔をするわけではありませんけど、そのときの彼女は楽しそうな雰囲気をしていましたから。
「効率低下、52パーセント」
「……あ、はい」
 再度、私はサポートに入りました。連結効率が安全域まで上昇し、長門さんは彼との会話に専念します。
慎重にキーボードを叩く様子から、私はふと、ディスプレイを覗いてみる気になりました。
―――私という個体も
 文字列を眺めたのは一瞬で、私はすぐに体ごと長門さんに背を向けていました。
―――あなたには戻ってきて欲しいと
 何度も言うようですが、私の視界は全方位なので、目を背けたわけではありません。
なので、次の文章も私の視界には入ってきました。
―――また 図書館に
 私は胸に抱いていた朝倉さんの絵本を、長門さんから隠しただけです。
 また、連結効率が下がり始めました。私が特に何もせずにいると、安全域を割った時点で長門さんは少し不満そうな顔をして、
「…………」
 ことさらにゆっくりと、最後の一文を打ち込みました。
―――眠れる森の美女
 私は朝倉さんの本に目を落としていました。そして、長門さんが数度迷うようなそぶりを見せてから、
結局エンターではなくデリートを押したとき、
『ウィルスプログラムの侵入を確認』
 私の頭の中にアラートが鳴り響きました。
負荷に耐えかねた私の中枢部分は、私の体のコントロールを10秒間放棄することを決定してしまいました。
 ウィルスの命令に従って、私の体は驚くほど機敏な動きで長門さんをパソコンの前から押しのけました。
「なに……?」
 事態を理解していない彼女を、私の体はほとんど無視していましたが、ほんの一瞬。
長門さんに向けた視線がありえないほど慈愛に満ちていた気がして、私は自分の正気を疑い、
あまりの気持ち悪さに吐き気でももよおしたような気分になりましたが、
 実際の状況はそれどころではないらしく。
「……あ」
―――sleeping beauty
 嫌味なほど滑らかに、私の手がキーボードを叩くのを眺めながら、私はずいぶんと冷静だなと思いました。
この状況は私にとっては何のプラスもマイナスもなくて、本当に蚊帳の外で、
「ごめんね、長門さん」
 動いたのは確かに私の唇でしたが、出て来たのはまったく別の声でした。
もはや私が何を考えようと感じようと、指は自動的にエンターに伸びていって―――
「駄目……!」
 そのメッセージを最後に、閉鎖空間とのリンクは完全に断絶しました。
 
 あの後すぐ、私はセーフモードに入ってしまっていたので、結果は伝聞のものでしか伝えられません。
少なくとも、上の思惑通りに世界は崩壊を免れて、涼宮ハルヒも彼も帰還しました。
長門さんは、またあの何事も無かったような顔を彼に見せに行ったようです。
 通常モードに復帰した私は、枕元に例の絵本を見つけていました。本はタイトルの一部が削り取られていました。
私はそこにウィルスが仕込まれていたのだろうと、それだけ当たりをつけて、しばらく放っておきました。
 数日が経って、事件の事後処理が大体済んだということで、私は久しぶりにその絵本に向き合っています。
手にはフランス語の辞書を持って、タイトルだけでも訳してみようという気でした。
「私は……なる……?」
 フランス語の知識を取得すれば一発なのでしょうけれど。
「所有する……される? 費やす、かける……」
 これが私のスタイルでいいのだと思います。
―――生涯をかけて、あなたのものになる
 知識の乏しい私では、こんな文章にしかなりませんでした。朝倉さんは、これをどんな風に読んでいたのでしょうか?
 この本を買ったのは近所の古本屋でした。長門さんには内緒で、おそらく初めて、2人で出掛けた日だったと思います。
お互いに、相手の存在を半ば無視してはいましたけれど。
「どう、喜緑さん? なかなか泣かせる話だと思わない?」
「ええ、そうですね。朝倉さんにぴったりです」
「……ふん。言ってなさいよ、まったく」
 そんな会話をするくらいには、2人で出掛けている自覚がありました。
実は内容を聞いていなかったので、私はかなり適当な受け答えをしていたのですが、
「朝倉さん……」
 思い返してみれば、2人で長門さんの部屋の居間に寝転んで、
朝倉さんがやけにおどけたり、大袈裟に嘆いたりしながら読んでくれたそれは、
―――貴方のことを愛している…………ふふ、なんてね
 生涯叶うことのない、そんな物語でした。

< もどるよ!